神戸市の公立小学校で複数の教諭が同僚に悪質ないじめを繰り返していた問題で加害教師らが被害教師に対して激辛カレーを無理やり食べさせる動画が公開。ここまで悪質ないじめを学校内で解決できず、警察に被害届が出ていましたが、なかなか警察も動かなかった現実があり、メディアにリークして動画の公開に至ったということでしょう。その後、神戸市教委が同小の給食でカレーの提供を中止したことも話題に。学校側の事後対応が問題視されています。

学校の先生は、何かと優遇されていると感じる人もこの事件だけを見ると多いですが

一方で教師は聖職者として、子供に対して過大な責任を負わなければいけないというプレッシャーがあり、普通の公務員以上のモラルが問われてしまい、早朝出勤や残業、モンスターペアレンツへの対応が増えることでブラック労働となってしまっていることも問題視されています。

なぜ、学校の先生だけが特別視されてしまうのか日本の教育制度について考えていきましょう。

日本の教育制度の歴史

日本の教育制度は江戸時代の寺子屋にさかのぼります。

寺子屋は仏教系の宗教施設と学校が混在しており、町人がボランティアで文字、計算などを教えていました。

寺子屋の教師(師匠)726名分の旧身分が記録されていて、多いのは平民(町人)で、雑業、農民、商人などの江戸の町人で女性の師匠も86名いました。

このことから仏教を教えるためだけの寺院ではなく、現在の学校に近い教育施設であったことがうかがえます。

寺子屋の教師を養成する学校もあり、日本は近代国家システムに先駆けて公教育制度が成り立っていたわけです。

ちなみに寺子屋は経営学者のドラッガーに世界最古のNPO法人とも称されています。

江戸時代に寺子屋による学問の指南が一般町人の間に定着しており、江戸時代ないし明治初期における日本の都市部の識字率は世界的にも高い水準でアジアでは当時としては最高の教育システムであったものの、1850年代には義務教育制度が始まっていたヨーロッパと比較すると、遅れていたともいえます。

そして、明治維新が起こりました。

明治政府は、1872年9月4日学制を導入。

日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令で全国を8の大学区に分け8大学校の、1大学区を32中学区にわけ256中学校の、1中学区を210小学区にわけ53760小学校を置くことを定めています。

この区分けは現在にも色濃く残っていて施設はそのまま寺子屋が活用されることも多かった。

また、明治政府は明治維新に明治天皇の威厳を利用しているので、仏教よりも国家神道を重んじる路線に切り替えました。

寺子屋は義務教育制度を充実させるうえで邪魔な存在で、仏教色が強かったことから明治政府から問題視されましたが、子供の教育を受ける権利を奪ってはいけないということで明治政府は寺子屋をそのまま教育施設として残して、活用したうえで仏教色を排除して国家神道を根付かせるために、教育ののコンセプトを変えるという施策を1890年に行いました。これが教育勅語です。

https://www.instagram.com/p/B2piZyTHdR6/?utm_source=ig_web_copy_link

教育勅語には、教育制度の近代化と国家神道を広めるという二つの目的がありました。

教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれますが、天皇を過度に神聖化する内容も含まれており、第2次世界大戦につながる軍事教育や軍国主義の温床になったとして現在では教育現場で利用されることは少なくなっています。

現在の教育制度の問題点

現在の教育制度の出発点は教育勅語の否定であり、国家と教育の分離です。

戦前に行われていた修身と呼ばれる道徳教育は廃止されて、現在は道徳の授業では仲間、家族を思いやり、共同体の一員として働くことや平和を愛するというような良く言えば普遍的で悪く言えば昔から当たり前だったことを道徳として教えていまが、日本の教育制度は、寺子屋が土台となっていて、日本の学校は宗教色が強いといえます。

運動会や入学式などは他の国の人が見ると宗教的な行事ですね。

しかし、それが仏教なのか国家神道なのかは誰も説明が付きません。

学校の先生も資格を取るうえで宗教的な修行や道徳心を問われることは無いに等しく、勉強を教えるスキルだけが問われます。

そして、学校に国家権力が立ち入ることには強い抵抗意識があるので、問題が起こっても警察が介入することは過度に嫌がります。

というわけで、一般社会はとっくに近代国家の法治主義システムに順応しているのに対して、学校に関しては法律ではなく、教師の判断によって統治されていて、そこには謎の宗教色が存在するわけですね。

また、教育委員会は、国から補助金がもらえるうえに国から口を出されると烈火のごとく怒りますから、めんどくさいので誰も関わりたがりません。

こうして教育行政は、社会から隔絶された無法地帯となってしまうわけですね。

現在の教育制度の問題を解決するのは、短期的には簡単で法治主義、自由意志という近代国家システムで導入された概念を加えていけばいいだけです。

学校で暴力事件が起こった際には速やかに警察が介入して法律で裁かれ、生徒はクラスを自由に変える権利を持ち、いじめられている子供はすぐにクラス替え、転校が出来たり、勉強ができる子は飛び級で上の学年に混ざれば良いでしょう。

ただし、法治主義というのはみんなで決めたルールを守りましょうという仕組みで、例えば外国人を差別してもよいと多数決で判断させれば、それを守ることが正しいこととされてしまいかねません。

ルールを守るうえで有効でもルールを作るには法治主義は無力であり、そこには宗教的、道徳的な上位概念を必要とします。

善か悪かなど、究極的には誰も決めることはできない。

学校が宗教色を排除して法治主義を導入すると、この問題にぶち当たります。

法治主義で学校を統治するのは無理で、校則を破った生徒に、「でも合法ですよね?」と反論されると先生は何も言えなくなりますから、学校の先生が警察の介入を過度に嫌がる理由はここにあります。

ネットの声

同じ神戸いじめに苦しんでいる親子を見捨てている市長や教育長が何を言っても響かない。
今まで平気で見捨ててきて、教師いじめだけを取り上げるのはどうかと思う…
これを期にきちんと市民や子供たちが安心出来る市政に変えていかなければ茶番にもならない。

日教組がイジメの原因となった神戸方式(校長がお気に入りの教員を招き入れられる)の廃止に反対していたとは。存在意義どこにもないよな

立憲民主党の政治家が神戸市の教師いじめ事件にほとんど言及しないのも、この事件を契機に「指導力が低すぎる教師や人格に難がある教師の解雇の容易化」が進んだら困るからだろうし

おすすめの記事