空気を読むという言葉を流行らせた松本人志の功罪。松本人志の芸能活動休止は芸能界の空気まで変えてしまう?

いまでは当たり前のように使用される空気を読むという言葉は松本人志によって作れて大衆化されたといわれています。人が感じる印象や感情をうまく言葉にすることが松本人志の面白さでもあり、ボキャブラリーの凄さであったりします。空気を読む以外では

イタイ、サムイ、かぶってる、噛む、絡みにくい、KY、すべる、ドン引き、グダグダ

といった言葉も松本人志が発祥ではといわれています。それはすごいことですが、これらの言葉を流行らせたことの弊害もあるでしょう。

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芸人的なノリの強要

人間がコミュニケーションを取る際には、おもしろいかどうかなど関係ありませんが、彼の番組に出るお笑い芸人以外の人にも、おもしろいことを言わなければいけない。空気を読まなければならない。何がおもしろいかを決めるのはお笑い芸人様といった圧がかかっていました。そのようにして本来はお笑いとは無縁な人が追い込まれていく様子をおもしろがるということは相手が番組に出演することを了承しているからこそ成り立っている関係性でもありますが、ワイドナショーでは週刊誌の報道を、相手の了承もなく全国ネットで大々的に報道して、このような同調圧力でなにかやらかした有名人を上から目線で小馬鹿にするスタンスを取っていました。現在、松本人志が陥っている状況はいわば、自分が作った空気ともいえるでしょう。

相手が誰だろうが、人間は意思表示する権利がある

相手の見た目、性別、職業、年齢にかかわらず、人間は誰しもが相手に対して意思表示する権利を持っています。

たとえ、それを言ったら「おもんない」ことであっても関係ありません。

まず、松本人志が去ったお笑い界を考えるうえで松本人志が作り出したおもろいかおもんないかを基準とした、芸能界でのヒエラルキーを前提にしたコミュニケーションのあり方自体をどうするか考えていく必要があるでしょう。

また、この前提が崩れるとお笑いの各種賞レースのあり方も変わっていかざるを得ません。

一昨年のM-1で優勝したウエストランドは過剰に持ち上げられている現在のお笑い界やM-1の大会自体をいじって優勝していますが、そもそもなぜ真剣にお笑いで点数なんか競ってるのかという根本的な疑問に対して、答えを作らないと、松本人志が去った後のお笑い界は、マニア化して廃れていくでしょう。

ネットの声

人間はそもそも空気読む生物で、まわりのひとがスゴイと言っているとそれだけでスゴイような気になってくるという実にヤバい性質がある。それはとても危険なんで理性的に抑制しなきゃいけないのに、いまはその危険性どんどん増幅する社会になっている。どこかで破綻がくると思うな。

 

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