×

松本人志はどうなってしまうのか。マイケル・ジャクソンを事例に考える。

松本人志はどうなってしまうのか。マイケル・ジャクソンを事例に考える。

若手時代は既存のシステムの外側にいた大天才で、一部の若者から熱狂的な支持を受け、中堅となり社会的な評価を獲得したときには無敵状態に突入し一気に業界の中心に成り上がり、ベテランとなると、作品の質の低下を隠せなくなり、地位と仕事ぶりにギャップが生まれ、若者からは何がそんなにすごいのかわからない不気味な存在となっていたという意味でマイケル・ジャクソンと松本人志は似ています。

そこでマイケル・ジャクソンのキャリアから松本人志の今後について考えていきます。

神格化されすぎた天才

1969年10月、シングル「帰ってほしいの」でメジャーデビュー。全米チャートで1位を獲得。子供ながら突出した歌とダンスの才能で、黒人歌手の第一人者となります。

1982年、大人になったマイケル・ジャクソンはアーティストとしての才能も爆発させます。2作目のソロ・アルバムとなる『スリラー』を発表。推定約7000万枚を売り上げたとされており、ギネス世界記録において「史上最も売れたアルバム」として認定。また、収録曲9曲のうち7曲がシングルカットされ、その全ての曲が全米チャートでトップ10入りするという前人未到の快挙が成し遂げられ、その価値は批評家にも認められ、2年後の第26回グラミー賞では史上最多となる7部門を制覇しました。

1985年、アフリカ飢餓救済のための慈善企画「USA・フォー・アフリカ」に参加。マイケルとライオネル・リッチーのペンによる楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、クインシーの指揮のもと、ハリウッドを代表するスター45人が集まって録音され、最終的に全米で750万枚を売り上げました。

このあたりから、マイケル・ジャクソンはアメリカの各ジャンルのスターの中でも突出した存在となりますが、一方で反感を買っていくことになります。

1993年性的虐待の訴訟を起こされる。裁判ではジョーダンの父イヴァンによる恐喝があったことが明らかとなり、またジョーダンの証言にも多数の矛盾が発覚。ところが、裁判が推定7年近くかかることや、マイケルが精神的に危険な状態にあったことなどにより、音楽活動への多大な影響を懸念してマイケル側は和解金を支払うことを選択。ここで和解を結んでしまったことで世間からは偏見の目を向けられることとなります。

2005年性的虐待疑惑で逮捕。1993年の訴訟とは違って刑事裁判にかけられ、マイケル・ジャクソン裁判として全世界の注目を受けることとなります。

2005年6月、裁判のすべての起訴事実に関して無罪が言い渡されます。

しかし、この裁判の過程でマイケル・ジャクソンのネガティブ報道は加熱。裁判の結果にかかわらず、マイケル・ジャクソンのアーティストとしての地位は一気に崩壊してしまいました。

また、肌の色が白くなっていることも好奇の目にさらされる要因となりましたが、これは異常性白斑という病気です。鼻を骨折し、整形手術に失敗したことから、何度も再建手術を繰り返す過程で整形がくせになってしまったこともあり、見た目も変わりすぎて、不気味さが出てきてしまいました。

マイケル・ジャクソンは、裁判の結果が知られていないことや肌の色の変化が病気だったことも多くの人には知られておらず、「気味の悪い人」という扱いになってしまいました。

神格化されすぎたことの反動に苦しんだといえるでしょう。

人間は理解できないことに対しては拒絶反応を示すもので、マイケル・ジャクソンが大スターとなっていった過程を知らないために、何がそんなにすごいのかを理解できない若い世代からの強烈な違和感や持ち上げられすぎたことに対する周囲の嫉妬が裁判や皮膚の色の変化をきっかけに噴出したのです。

しかし、社会的評価が地の底まで落ちたもののマイケル・ジャクソンは活動を続けました。

2008年2月、企画盤『スリラー25周年記念盤』を発売。ベスト盤『キング・オブ・ポップ』を発売。

2009年3月、ロンドンにて記者会見を開き、最後のツアー『THIS IS IT』を行うと発表。チケットが売り出されると4時間で50公演分が完売しました。

しかし、2009年6月25日、THIS IS ITのツアー準備を進めていた最中に、自宅にて心肺停止状態に陥り死去。主治医であったコンラッド・マーレーは過失致死罪の有罪判決を受けています。死因はいろんな説があるものの、薬の過剰摂取が一番有力とされています。

2009年10月、予定されていたO2アリーナでの公演のリハーサル映像を収めたドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』が公開されました。

マイケル・ジャクソンはスキャンダルによってパブリックイメージは地の底まで落ちましたが、根強いファンはマイケルを待っていました。ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』ではシングルデビュー曲ビリージーンのリハーサルを始めると、若手バックダンサー数十人がマイケルの前に集まってきて、ビリージーンをみんなで踊り始める映像が収録されています。

若手ダンサーにとっては、全員がフリを自然に覚えており、踊ることができるほどの名曲だったのです。

マイケル・ジャクソンはリハーサルにもかかわらず、徐々にダンスの本気度を上げて若手ダンサーを喜ばせていました。マイケル・ジャクソンの最後の客は、自分が作り上げた音楽文化の影響を受け、次世代を担う若手たちでした。

松本人志もパブリックイメージは崩壊しましたが、お金を払ってでも見たいというダウンタウンのファン、お笑いマニアは多く存在しており、ダウンタウンの影響でお笑いを始めた芸人も多数存在しています。

自分が求められる場所で、求められるスタッフ、演者と、好きにお笑いを表現する環境に恵まれることが、松本人志という芸人にとってハッピーエンドなのではないかと思います。

ネットの声

マイケル・ジャクソンの時も周りはひどい事言ってたけどずっとファンでいたしファンじゃないフリしなかった自信あるので、松本人志についても同じスタンスでいきます。

松本人志さんのこと、真実には行き着いていないようだけど、マイケルジャクソンの疑惑を思い出す。

You May Have Missed