『お笑いの日2023』でダウンタウンが漫才を披露。好評だったが「これって漫才なの?」の声も。

お笑いコンビ・ダウンタウンが21日、TBS系が送る笑いの祭典『お笑いの日2023』のオープニングアクトとしてセンターマイクの前で漫才を披露した。

8時間におよぶ生放送で届ける『お笑いの日』。総合MCを務めるダウンタウンがオープニングアクトとして登場。センターマイクを挟み、スーツ姿の2人が軽快なボケとツッコミで漫才を披露した。

その中で、松本人志が「浜田さんってフジテレビの27時間も完全に断りましたもんね?」と問いかけると、浜田は「完全に断ったね」と断言。続けて、松本が「大しておもんないCMとか絶対断らないですよね?」と投げかけ、「いかに金で動いているのか」と浜田をイジった。

すると、浜田が「27時間はけっこうもらったってことですか?」と質問。松本は「僕はそんなんじゃないです」と“優等生発言”をすると浜田は松本の頭をたたいた。

今年の『FNS27時間テレビ』内では、松本、今田耕司、東野幸治ら『ダウンタウンのごっつええ感じ』のレギュラーメンバーが“ほぼごっつ軍団”として生出演していました。

この貴重な映像にネット上では「やっぱダウンタウンの漫才おもしろい」「久しぶりにダウンタウンの漫才みた」「ダウンタウンの漫才なんか泣きそう」「さすがだな…」「ダウンタウンのオープニングアクトとかめちゃくちゃ贅沢」などの声があがっています。

一方で漫才ではなくこれはフリートークでは?漫才ではないだろう。という声もありました。

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ダウンタウンの漫才はフリートーク

ダウンタウンの漫才は「チンピラの立ち話」と揶揄されたこともありますが、いわゆる漫才という形式を崩してあたかもその場で思いついた話をしているかのようなスタイルで人気を博しました。

「フリートークのような漫才」だったダウンタウンのネタはガキの使いやあらへんでのトークに昇華していき、最終形態としてフリートークとなっていったのです。

松本紳助で島田紳助に漫才を続けない理由を聞かれた際に「フリートークの方がウケる」と発言しています。

このあたりがネタをし続けることを辞めた芸人とは一線を画す部分でダウンタウンの番組の二人の掛け合い自体が漫才の発展形であり、ベースとなるスタイルがあるからこそ長く一線で活躍できる要因ともいえるでしょう。

吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」でも漫才を披露しましたが、事前の打ち合わせは松本が浜田に「普通のクイズを何個か用意しておいて」という一言のみで、あとは往年のクイズネタを崩したフリートークを展開しました。

今回の漫才も松本がある程度どんなことを話すかは事前に決めておいて、あとはフリートークという形だったと思います。

漫才がフリートークとなるのは、ダウンタウンが手を抜いたというよりも、これがダウンタウンが行き着いた漫才の形といったほうがよいかもしれません。

ちなみにM-1グランプリを優勝したマヂカルラブリーの漫才を巡り大論争となった騒動に持論を展開。マヂカルラブリーの野田がほぼ話さないジェスチャーのみのボケに対して一部で「これは漫才なのか」と論争が勃発。

これに関して松本はワイドナショーで「これに関してはテレビサイドでしゃべれない。1時間ぐらいしゃべらしてほしいくらいですけど」と前置きすると「漫才の定義というのは基本的にないんです。定義をあえて設けることで、その定義を裏切るのが漫才なんですよ」と語っています。

ちなみに爆笑問題の太田光も太田は「漫才とはこういうものなんて、何の定義なんてないですからね。そもそも、最初漫才っていったのは、三河万歳とか、音を使ったりね。桂子好江師匠は三味線だったり…。ああいうのから近代漫才になって、エンタツ・アチャコから、漫才はしゃべくりだってなったけど。漫才ブームで全部ぶち壊して、型がないわけですよ。ツービート、B&B、ザ・ぼんちも。あんなの漫才でもないって。漫才っていうのは、こういうものっていうことを規定されることを漫才自体が拒んでいるわけだから。あんまり意味がないよね」

と裏番組でまったく同じ見解を話していました。

ネットの声

ダウンタウンのお二人は漫才を披露しない状況をどう思っているのだろうか?
やりたいけど二人で顔を付き合わせてネタを考えることすらできないのか?
今のお二人はそんな関係でもなかろうに
漫才師って肩書きは捨てたのかな?
漫才披露で歓喜!みたいな話がすごい嫌だ

 

ダウンタウンはもうレベルが違うし
普段からあんな感じやから
いつもの会話が漫才みたいなもん

まぁガキの使いのトークと漫才に明確な違いなんて無いからね。ダウンタウンはずっと面白いのよ。

 

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