
1月6日、旧民主党の国会議員だった三宅雪子さん(54)の遺体が、東京湾で発見されたというニュースがメディアを駆け巡りました。
報道などによると、三宅元議員は、12月30日に自宅を出たまま行方不明となり、家族が届けを出していたということです。
そして、31日未明に芝浦ふ頭付近で、かばん、靴などが発見されたのです。
遺体が発見されたのは、1月2日。遺書らしきものが残されていたことから、入水自殺とみられています。
電話は繋がらず…
噂が先行した今回のニュースです。
ツイッターなどで公開されている携帯電話番号は1月6日16時時点でつながらず、留守番電話設定となっていました。
代表を務めるとされる都内の企業にもJ-CASTニュースが電話をしていますが、やはり留守番電話の自動応答が流れるばかりだったそうです。
捜査関係者によると、遺体が発見されたのは今年に入ってから…この部分も曖昧です。
小沢ガールズとして
三宅雪子氏は、フジテレビで報道局記者などを務めていました。
祖父は元官房長官の石田博英、父は外交官と、政治家になる環境としては申し分ありませんでした。
しかし、お嬢さん育ちで、良く言えば素直悪く言えば駆け引きができない印象があったのです。
そして、小沢一郎氏の後押しで2009年の衆院選に民主党(当時)から群馬4区に出馬。
福田康夫元首相を相手に小選挙区では惜敗したものの、政権交代の波に乗る形で比例区復活で初当選を果たします。
当時、「小沢ガールズ」議員たちは客寄せパンダとして選挙戦に利用されました。
しかし、当選後はロクな育成もされずほったらかしという扱いを受けていたのです。
その後「国民の生活が第一」を経て日本未来の党に参加。12年は衆院千葉4区に出馬しましたが落選。
その後の彼女の政治人生の変遷や外見が激変した様子などを追っていくと、精神的に相当厳しい状況にある中で、必死で生きてきたことが推察されます。
転倒事件で有名に
2010年5月、三宅雪子氏は衆院内閣委員会での採決をめぐり起きたもみあいの中、転倒し負傷します。
もう完全に時効ですが、
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) December 16, 2019
約10年前に三宅雪子議員を国会委員会室で転倒させた真犯人は
初鹿議員ではないかと力学的な考察に基づき私は疑っています。
キーワードは「膝カックン」です(笑)https://t.co/iIlVWTHiIJhttps://t.co/Oiyc1FUGR9
この際、自民党の甘利明議員に押された、と主張し論争となったのです。
当時のJ-CASTニュースの記事によれば、転倒の瞬間を収めた動画がYouTubeで100万回以上再生。
騒動を揶揄したTシャツが作成されたりするなど、ネット上の話題を集めました。
政界再編劇では小沢氏と行動をともにし、国民の生活が第一、日本未来の党、生活の党に参加。
2012年衆院選、2013年参院選にそれぞれ出馬しますがいずれも落選します。
その後、周囲とのトラブルを理由に生活の党を離れました。
ルポライター・インタビュアーとして精力的に活動
離党後も政治活動を続ける一方、「ルポライター」の肩書きで日刊ゲンダイなどに寄稿するなどの活動を続けています。
またYouTubeなどで識者へのインタビュー動画を配信しています。
近年はジャーナリズムでの活躍が目立っていました。
死の直前となる2019年12月に入っても、野党による合同ヒアリングにその姿があります。
YouTubeでは12月27日、弁護士の嶋崎量氏へのインタビューを投稿していて、これが最新の更新となってしまいました。
議員時代から日々発言を続けていたのがツイッター。
フォロワー数は6万人を超えています。
ツイッターでは、各メディアの記事に感想や、持論をつぶやくことも多かったのです。
あるときには、J-CASTニュースに掲載されたある記事の筆者に直接コンタクトがあり、激励の意を伝えられたこともありました。
最後のツイッター投稿は12月30日。
取り組んでいる裁判傍聴や、政界の動向への見解などに加え、腰痛など持病への不安や、周囲への感謝などが入り混じっています。
最後のツイートは、自身の父が登場する書籍の一部分を映した写真とともに、「P82に父が紹介されています」とつぶやくものでした。
ネットの反応
「強行採決の際にすっころんでけが人のふりをした当たり屋という印象しかないが、当たり屋としては映像が残ってしまったのは致命的だったと思う。良くも悪くも民主党を象徴するノイジーなシロウトだった。」
「こういう悲劇を繰り返さないためには、有権者が厳しい目で女性候補者を選別するしかないですね。適性のない人を「目新しいから」と持ち上げるのも駄目だし、河井杏里氏のように不誠実な候補者に投票するのも駄目。」
「本来、まったく政治とは無縁のタイプの人が、政治に足を踏み込んだばかりに、自己表現の方向性を見失ったまま世間から遠ざかりました。うつ病だったのでしょうか。甘利さんに突き飛ばされた演技や、けがをして大げさに車椅子で国会に入る姿だけが印象に残るのは不本意だったでしょう。」
当時は自作自演といった印象を強く持ちました。しかし他作自演だったのかもしれません。誰からの指示だったのか…今では闇の中です。ご冥福をお祈り申し上げます。