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香港ではデモが続く。政府への不満と食い違う主張とは?

香港ではデモが続く。政府への不満と食い違う主張とは?

香港でデモが行われています。デモの要因は何か?

なぜそこまで対立するのか。詳しく見ていきましょう。

香港で行われているデモの様相

香港では、7月7日に「逃亡犯条例」の改正案を撤回するよう求めるデモが行われました。

7月1日に香港の若者たちが立法会(議会)の建物を占拠してから、抗議活動は継続的に繰り広げられています。

 

デモが終わっても、参加者が道路を占領していると警察が強制排除に出てくるなど、衝突は絶えません。

7月7日に行われたデモは、ネット上での呼びかけに応じて行われました。九龍半島の繁華街で行われたのは初となります。

 

デモの狙いはどこにあったのでしょうか。

デモの終点となった西九龍駅には、高速道路の玄関口があります。

本土から来る観光客の通り道である地域を選んだのは、本土から来る観光客に対して、香港の実情を知って欲しい狙いがあったためとしています。

 

警察側も黙ってはいません。本土から来る観光客とのトラブルが起こらないよう、警戒態勢を強めました。

デモの参加者は、発表する主体により主張が異なっています。

警察側は5.6万人が参加したと公表した一方、デモの主催者側は23万人を動員したとしているためです。

 

ある女子大生は、デモでの暴力行為は肯定できないが、市民の声を無視する政府の対応に憤りを感じるのでデモに参加していると話していたといいます。

参加者側はデモは暴動ではないとしていますが、政府見解では暴動と見なす発表もあり、政府に対するデモ参加者の不満を強めていると言えます。

 

7月5日の夜にも、母親を中心にした抗議集会が開かれていました。参加人数はまた主張が食い違っていて正確なところは不明です(警察側は1300人、主催者側は8000人)。

デモの目的の深いところにあるもの

表面上のデモの要因は、犯罪者を本土へ引き渡すことを認める「逃亡犯条例」の改正の反対です。

しかし、もっと根深い問題があります。

 

香港人の中国に対する反発という、根深い問題があるのです。

香港は以前、英国の植民地だったことがあります。

 

1842年に行われたアヘン戦争の後、香港島はイギリスの支配下に置かれます。

正確には、現在の香港の地域を「租借」しました。返還期限は99年後です。

イギリスの影響下にある香港ですが、貿易港として繁栄を遂げました。そして、製造業の中心地にもなります。

 

当時の中国本土の人々にとっても、香港は安心できる地として評価を受けていました。

なぜなら、中国本土での貧困、迫害に苦しむ人々や、政情不安から逃れたい人々にとって、香港という地は最適な移住場所だったのです。

 

さて、1852年から99年が経過しようとする1980年代、中国政府と英国政府は香港をどうするべきかを話し合います。

中国政府側は、返還後の香港を中国の法律の影響下に置くべきとの見解を示しました。

その影響もあったのか、英国との話し合いの結果、1984年に香港は中国に返還され、中国の一部とする決定がなされました。

 

ただし、返還以後の50年間は、基本的に自治を認められ、外交と国防以外での自治を認められることが決まります。

特別行政区となった香港では表現の自由も保障され、中国内部でも天安門事件関連での犠牲者を追悼することが可能な地域でした。

 

しかし、しだいに香港での自由が減ってきていると住民は感じ始めていたようです。

高等法院により民主派議員の議員資格を剥奪されるなど、中国政府による香港の自治への介入が目立ち始めます。

 

香港内部の書店店員が姿を消したり、香港の富豪が中国本土にて拘束されたりと、少しずつ中国本土への反発が積み重なっていったようです。

香港政府の議員に占める親中派の議員の占める割合の異様な多さなど、民主的に香港政府の行政長官が選ばれていない現状に不満を感じているきらいがあります。

そんな中での条例改正。

今回のデモは、中国側の条例改正そのものというよりも、以前から蓄積していた不満が条例改正という機会を通して外に出た結果とも言えそうです。

ネットでの反応

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安全面での不安が広がってはいますが、暴徒化とは言い過ぎではないか、との声は現地にいる方からも聞こえてきています。

あくまで香港人は自分たちの声を届けたいという思いであり、それに対して火に油を注ぐ対応を周囲がしている恐れがあるということです。

観光地として日本人にも大人気の香港。

歴史的に根深い対立があるのも事実ですが、魅力ある観光資源が多くあります。

メディアによる一つの報道を参考にせず、信頼の置ける情報を比較して、正しい情報をつかんでいくことが求められていると言えます。

とはいえ、今後も根本的な問題が解決しない限り対立は続いていくでしょう。

歩み寄れる部分を探り、政治体制の変革し、話し合いの場を設ける…。

道のりは遠いかもしれませんが、デモをきっかけにそんな道が少しずつ開かれていく希望を、現地の人たちも望んでいるのかもしれません。