
絵に描いたような転落人生…
和製コマネチとして人気だったのは40年以上も前になります。
岡崎聡子が5年ぶり14回目の覚せい剤取締法違反で逮捕されました。
4月下旬に逮捕されていた
元五輪体操・岡崎聡子被告 薬物事件で14回目の逮捕 https://t.co/YJ4PZcw1Aa
— テレ朝news (@tv_asahi_news) 2019年6月19日
モントリオールオリンピックの五輪代表選手だった岡崎聡子(58)が逮捕されました。
覚せい剤取締法違反での逮捕ですが、今回で14回目ということですから、常習犯ですね。
報道によると、自ら杉並区内の交番に訪れたということですが、
どういった用事だったのかというと「物をなくした」というものだったそうです。
様子に不審な点があったため署員が問いただし、
尿検査をしたところ覚せい剤反応が陽性だったということです。
自ら交番に「物をなくした」といって訪ねるところに、
覚せい剤常習による幻覚じみた、あるいは何かにとりつかれたような状況になっていたのでしょうか。
芸能人や有名人がつかまるのはこういった「どうして?」というシチュエーションが多いような気がします。
まさに覚せい剤の作用によるものなのでしょう。
それにしても、覚せい剤取締法違反の容疑での逮捕は今回で14回目…。
前回の逮捕が2014年ということですから、世間には5年ぶり14回目の登場となったのです。
こうやって忘れ去られそうになりながら、度重なる容疑での逮捕となっているので、
こちらにしても忘れたいのに忘れられない…残念な存在であるのは間違いありません。
覚せい剤をやめたくてやめれない人はたくさんいるのですが、
自らを律することができる元アスリートがこんな体たらくなのは、不思議に思う人も少なくないでしょう。
岡崎聡子は何者で、これまでの人生に何が起こっていたのでしょうか。
和製コマネチとして輝き…その後の転落人生
1976年のモントリオールオリンピック…女子体操ではルーマニアのコマネチ選手が10点満点の演技をたたき出し、
コマネチ旋風を巻き起こしていました。
そんな中で、日本代表として若干15歳で参加したのが岡崎聡子だったのです。
愛くるしい姿から和製コマネチと呼ばれていました。
そのときの個人成績は30位ということで、まったくふるわなかったのですが、
低迷している日本女子体操の中で一服の清涼剤となったのは間違いありません。
しかし、岡崎聡子が輝いていたのはその頃がピークだったといっていいでしょう。
1980年のモスクワオリンピックは、当時のソ連のアフガン侵攻に抗議して、
西側諸国と足並みを揃えるように日本も参加をボイコットしています。
その影響もあったのかと思ったのですが、岡崎聡子はその前年の1979年に体操界を引退しています。
理由はケガということで、その後はタレントに転向しています。
この芸能界進出から始まる黒い交際が岡崎聡子の転落人生の序章となったのは間違いありません。
それは、1981年に当時同棲していた相手との度重なるスキャンダル(中絶体験や大麻疑惑などの暴露)で一大騒動となったのです。
1984年に他の男性(デザイナー)と結婚、妊婦ヌードを披露するなど話題をふりまき続けます。
その後、芸能界を引退し2人の子どもをもうけ、幸せな家庭生活を送っているのかと思っていたら、
自分の過去が相手にばれたときに傷つかないように相手を選んでいた??
何回目かの逮捕で、裁判官に「つきあう相手を選んでいた」という発言で自らの気持ちの弱さを露呈していました。
14回目の逮捕というのは、オウム真理教の麻原彰晃に次ぐものだそうです。
女性でこの逮捕回数は異例中の異例であり、今後逮捕回数が更新されないことを祈るばかりですね。
ネットの反応
「これは、死なないと直らないと思う…」
「ここまで、立ち直れない人も珍しい」
「物をなくした、こと自体も幻覚かもしれない…」
悪い意味でずっと記憶に残る女性ですね。
もう58歳、人生の大半が覚せい剤やスキャンダルにまみれてしまいました。
ここから立ち直れるのか、ある意味興味深い女性でもあります。