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女芸人で唯一天下を取った山田邦子…落ち目になっても不安はなかった!?

女芸人で唯一天下を取った山田邦子…落ち目になっても不安はなかった!?

山田邦子、レギュラーが次々終了していく中で思ったこととは。

「自信があった」レギュラー14本が続々終了も前向きだったわけ。

過去の人ではない!

YouTubeに動画を投稿すると大バズり。

M-1で審査員を務めると日本中で物議を醸す問題提起も。

現役バリバリのレジェンド女芸人・邦ちゃん

短大を卒業してすぐ『オレたちひょうきん族』に抜擢。

以降、常に笑いを楽しみ続けてきた邦ちゃん。

その一方で、芸能界で苦楽を共にした仲間たちが次々と他界。

天国の彼らを笑顔にするため――。

一世を風靡した“邦ちゃんブーム”が終了

邦ちゃんにとって苦い思い出が残った番組終了直後から、追い打ちをかけるようにレギュラー番組は視聴率が取れなくなりました。

「ブームが終わったということでしょうね。そりゃあ、そうですよ。裏番組にも出演するような状態でしたから。あんなに出すぎていたら、飽きられて当然です」

同時にバッシング報道も目立つようになりました。

身に覚えのない不倫報道に見舞われることもあったそうです。

8年続いたNHKの好きなタレント調査女性好感度1位の座も、1997年には6位、1998年には14位と、急落したのでした。

「世の中では“山田邦子は終わった”と言われましたが、私には自信がありました。
その後、NHKの好感度調査は組織票が支配するようになり、廃止に。8年連続第1位の記録は生涯抜かれることはなくなりました。
私はよいスタッフや友達に恵まれ、妙な団体にも何も所属していないし、このままいい芸をしていれば、またいつかブームが来るって思っていました。それに、忙しすぎてできていなかったことができるようになるって、前向きに捉えられたんです」

車の免許を取り、家族旅行にも行きました。

現在は名取となり、弟子も取っている長唄を習い始めたのも、この時期です。

「忙しかったときは、恋愛もボロボロ。冬の寒い時季に失恋し、道端で泣き崩れて、偶然通りかかった行きつけの寿司店の若いコがコートをかけてくれたことも。あれは恥ずかしかった(笑)」

多くの仲間に助けられた

恋愛する時間も確保でき、2000年にはテレビの制作会社社長の男性と結婚。

「ちょうど40歳で、2000年とキリがよかったから、なんとなく。それに私よりだいぶ年上だから、早く死ぬって思っていたんです。でも、超健康オタクで、今でも元気。失敗しましたね(笑)」

こんな毒を吐いていますが、2007年に乳がんが発覚したとき、夫は精神的な支えになったはず。

「たけしさんの健康番組で乳がん特集をするので出演して、偶然、見つかったんです。最初はがんの知識がないから“死ぬんだろうな”って、出演ビデオテープや衣装など、トラック2台分整理したほど。でも、たけしさんに報告に行って『大当たり賞だな』って言ってもらうと、明るい気持ちに切り替わっていきました」

幸いにしてがんは早期。

たけしの番組に出演していた名医に診てもらい、入院期間も1週間ほどで仕事も休まずに済んだそう。

まさに番組出演が命を救ったのです。

治療が一段落すると、がんの講演会を行ったり、がんの知識と理解を深めるためにスター混声合唱団やNPO法人を設立しました。

「がんになって、180度とまではいかないけど、強くなれたし、その分人に優しくなれました。困っている人がいたら支えになりたいって思えるようになったのは、私も人から支えられたからでしょう」

がんをわがことのように心配してくれたのは、事務所の後輩の上島竜兵さん。

「竜ちゃんはすごく優しくて、がんに関しても、私が大丈夫だって言っているのに、『大丈夫?』って電話してきて、ご飯をごちそうしてくれるんですね。まさか竜ちゃんが先に逝ってしまうとは……」

このところ、かつて番組を盛り上げてくれた仲間が立て続けに亡くなり、いかに影響を与えてくれたのかを実感するという。

「渡辺徹は、俳優からバラエティ番組に進出して初めての仕事が私の番組で。最初は何もできなくてジャマだったけど、半年もしないうちに、ボケる私に無言でビンタをできるくらいに成長。俳優バカで、亡くなるぎりぎりまで舞台に穴をあけずにやり切る。そのプロ根性に影響を受けました」

笑福亭笑瓶さんは、邦ちゃんのほとんどのレギュラー番組で共演していました。

「ずっと一緒で、現場から自宅まで、笑瓶ちゃんの車で送ってもらうこともあったから、週刊誌に《ベンツに乗る謎のおかっぱ男性と熱愛》と報じられたり(笑)」

笑瓶さんは誰にでも優しく、スタジオの隅にぽつんと一人でいる人を見つけると「どうした、大丈夫か?」と声をかけていたそう。

「私の機嫌が悪くて楽屋でふて寝していると『もうすぐ、本番やで』って入ってきて、『今日はメークの笑ちゃんや』と私の顔にメークを始めるんです。それがおかしくて思わず笑ってしまうと、『じゃあ、立とうか』ってスタジオに連れ出してくれて。笑瓶ちゃんのような優しさは、私には欠けていたから、学ぶものが多かった。
だからお葬式で“必ず天国に行くんだよ”ってお別れしたんです」

たけしやタモリら先輩や、仲間に助けられて、今の邦ちゃんができあがったのです。

芸能界で44年…いまだ変わらないもの

「鶴ちゃん(片岡鶴太郎)や(寺門)ジモンは『太田プロに戻ってこい』って言ってくれるんだけどーー。戻りません!」

邦ちゃんは、キッパリと迷いのない笑顔で語ります。

2019年、長年修業を積んだ長唄杵勝会の名取の襲名披露の際、誰も太田プロのスタッフが出席しなかったことがきっかけで、事務所から独立したと報じられました。

「たしかに、あれは残念なこと。でも、太田プロでお世話になった社長が代わったこともあったから、短大時代、自分一人で活動していた原点に立ち返るタイミングだとも思ったんですね」

半年ほどフリーランスとして活動し、今は縁あってスポーツアスリートのマネジメント会社に所属していますが、芸能プロとは違い、かなり自由度も高いのです。

「YouTubeチャンネルを開設して、鬼越トマホークとコラボ動画をアップする機会にも恵まれたんです。それで鬼越の金ちゃんは『オレらは邦子組の若頭』と言ってくれて、若手芸人も紹介してくれるように。ご飯に誘って輪を広げています」

かつて、たけしやタモリに憧れ、サポートされた思いがあるからでしょう。

邦ちゃんは次世代を“おぶって”、お笑いのバトンを引き継ごうとしているのです。

「せっかく知り合えた後輩たちをまとめて、盛り上げていきたい。私は子供に恵まれなかったけど、育てる楽しみは後輩で十分。
とくに関東の芸人は、吉本芸人と違って小屋(劇場)を持っていないから、お互いが知り合うきっかけが少ないんです。
今後はYouTubeでコラボするだけじゃなくて、ライブを主催するのも面白いかも。私はね、生涯、お笑い好きなおばちゃんなんですよ」

ネットの声

「邦子さんはちょうど良い感じの図々しさがあるから芸能界でグイグイ上り詰められたんだと思う。若い頃は先輩からその図々しさを面白がられ、今もそのベースが変わってないから鬼越みたいな生意気な後輩と波長が合い、その関係性に憧れる若手芸人が次々と輪に入りたくなる…これまた良い感じの芸能界二周目に突入されてますね。」

「邦子さんの講演会行って本当にプロはすごいと思った。某農業会社のお硬い講演会だったんだけれど一瞬にして場の空気を変えてしまう。嫌味がなく優しさがあり、人を笑顔にさせる事ができる人。応援しています!」

「邦子さんは私の青春時代に一緒にいてくれたタレントさんです。当時はどの時間のどのチャンネルをつけても映ってる超人気の人でした。高校生の頃、邦子さんが出てる映画も見に行きました。ですが、忙しすぎてイライラしてたのかワイドショー等でリポーター(井上公造さん以外にも)に暴言を吐いてる姿が度々見られました。それから人気が急落してしまい、あっという間にテレビから消えてしまいました。。最近またテレビで活躍する姿を見れて、青春の頃を思い出しています。邦ちゃんがんばれ!」