宮沢りえといえば忘れられないのが貴花田との婚約発表からの破局報道でした。

この間わずか2ヵ月…

当時は様々な憶測が生まれました。

1992年ですから30年近く前になります。

それからの宮沢りえは女優としての幅を広げるように演技の道に邁進していったのです。

世紀のカップルといわれたが

1992年当時は『世紀のカップル』と呼ばれた宮沢りえと貴花田。

「人生最高のパートナーになれなかった」

ということでしたが、破局の理由について本人達から多くが語られず、様々な憶測が生まれたのです。

ワイドショーでは連日この話題で持ちきりとなりました。

なんといっても2人は若かった。

貴花田が20歳で宮沢りえが19歳です。

どちらもこれからという時期…

貴花田側は家庭に入ることを望んだのですが、りえママが強硬に反対した…というのがことの真相のようです。

貴花田が一方的に悪者になったのは男として当然だったのかもしれませんが、それから横綱までの道をひた走ります。

宮沢りえも数々の映画に主演して女優としての王道を邁進していくのですから、結果として良かったと言えるでしょう。

宮沢りえは特にこれで芸域の幅が広がったのは間違いないですからね。

ビートたけしとも噂になったけど

貴花田と破局の後、ビートたけしとも噂になりました。

りえママのエッセイが発端とも言えますが、仕掛け人は間違いなくりえママでしょう。

たけしが泊まっているホテルに宮沢りえが訪ねると、ビートたけしは優しく「いいから帰りなさい」と言ったとか。

普通の男なら喜んで抱いていたと思うので、このあたりはビートたけしはさすがですね。

貴花田との恋愛報道から破局の一連の流れから見ても危険な香りを察知したのかもしれません。

中村勘九郎とは本気だった!?

世間の耳目を浴びたのが宮沢りえの自殺未遂騒動です。

1994年9月の出来事です。

京都で歌舞伎俳優・中村勘九郎(現・勘三郎)と会った後、彼が宿泊するホテルの別の一室で左手首から血を流し、ベッドに倒れていたのが発見されたのです。

本人の言い分は室内で転んで持っていたコップで切ったというもの…。

表向きは…ということでそれを信じる人はいませんでした。

中村勘九郎とは、プロ野球観戦をともにしたり、彼の依頼で歌舞伎公演に特別出演したり、あまりの親密さに男女の仲までうわさされていたのです。

交際のもつれによる自殺未遂という臆測が飛び交ったのは言うまでもないでしょう。

中村勘九郎はその事件の4日後に記者会見を開いています。

不倫はあったのかと質問されると、

「もしもそうだとしても役者だから(騒がれても)いいんだけれど、そうじゃないんだ。不倫でなく『倫』にかなった可倫かりんなんだ。」

と、意味不明な言葉で煙に巻こうとしたのです。

市川右近との熱愛も

市川右近との熱愛もありました。

これは中村勘九郎との件があった以降のことです。市川海老蔵との噂もありましたから、歌舞伎役者の『色恋ごとは芸の肥やし』を地でいっているといったところでしょうか。

市川右近とは、2人で舞台を見にいくとか親密な行動がたびたび目撃されています。

宮沢りえは本気だったとか…。

この件については噂の域を出ないのですが、市川右近へのインタビューでしどろもどりになるとか急に怒り出すとか、役者とは思えないうろたえぶりが報道されていました。

中田英寿とはキス写真も…

宮沢りえ30歳のときです。

そのとき中田英寿は26歳…ばりばりの日本代表の時期ですね。

問題のキス写真は、雑誌『BUBUKA』にディープキスの写真が掲載されて話題になりました。

当時中田英寿は、イタリアパルマに所属していましたね。

この件で、中田英寿は女優の宮沢りえとのキス写真を掲載した「BUBUKA」(コアマガジン)と「週刊現代」(講談社)に対し、名誉棄損を訴え賠償金を求める訴訟を起こしています。

「現代」に対しては高裁で逆転敗訴しました。

このことから、中田の“芸能マスコミ嫌い”は知られるようになりました。

数多くの男性遍歴

噂だけで終わったものを除いて、真剣交際のものだけでもかなりの件数にのぼります。

さすが恋多き女ですね。

一瞬の報道で鎮静化した相手まで入れると、相当数の熱愛彼氏がいたことになります。

噂で終わったものなども含めて半数以上は、酔った勢いで撮られてしまったスクープのような感じです。

一般男性との結婚離婚を経て、現在はV6の森田剛と結婚しています。

波乱の人生でしたが、今が幸せ絶頂といったところでしょうか。

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