【衝撃】大林素子がカミングアウト!幼少期、現役時代の驚きの事実とは…
元バレーボールオリンピック選手でエースの大林素子。
50歳を迎えた節目に、衝撃の事実をカミングアウト!
ネットで驚きの声多数の内容とは…
エースとして活躍した現役時代
元オリンピック選手として大活躍した大林素子さん。
スポーツバラエティ番組や、女子バレーの解説者としてTVで見る事も多く、
知らない人はいないのではないでしょうか?
バレーボールを始めたのは、中学生の時。
もっと小さいころからなのかとおもいましたが、意外と遅いスタートだったんですね!
父は商社マン、母は陸上競技で走り高跳びの東京五輪選手候補だったという事で、
抜群の運動神経は母親譲りなのでしょう。
高校時代、全日本代表初選出され、
同年のワールドカップで国際大会デビューを果たします!
高校卒業後、大学へは行かず、
業団のトップチームであった日立に入団しバレーボール人生がはじまりました。
オリンピックには、
1988年ソウル、
1992年バルセロナ、
1996年アトランタの3大会に出場!
「モトコスペシャル」を武器に、
エースアタッカーとして大活躍した
日本が誇るオリンピック選手です!
そんな大林素子さんが、今年で50歳を迎え、
今までの人生についてカミングアウトをしてくれました!
なかには驚きの内容もあり…ネットでは色々なコメントが寄せられています。
大林素子、衝撃の人生カミングアウト
<出典:livedoorNews>
その、インタビューの内容がこちら…
ーーーバレーボールに出会ったきっかけは?
「子どもの頃は歌手やアイドルになりたかったんです。
でも、小学校の時から身長が高く、男の子たちから「デカバヤシ」とか「ジャイアント素子」と呼ばれ、
アイドルになるなんてムリだとも言われました。
いじめられていたんです。
引きこもってしまって、「死にたい」と思ったことは何度もありました。
そんなときに、アニメの「アタックNo.1」の再放送を見て、バレーボールに興味を持ったんです。
いじめられて引きこもっている自分を変えるには、バレーでオリンピックに行くしかないと思いました。だから必死でした。」
ーーー3つのオリンピックに出場した長い選手。怪我によるピンチもあったのでは?
「私たちの時代は今と違って、指の脱臼や疲労骨折くらいは怪我のうちに入りませんでした。
春の高校バレーに出場した学生の頃から、それが当たり前。
その感覚でいえば、大きなけがはしないで来れたのかな、と思います。
ただ、1度だけ、自分の選手生命を心配したことがありました。
日立にいた1989年の6月頃に膝の半月板を痛め、復帰したと思ったら、今度は足の 靱帯 を切ってしまったんです。
どちらも右脚でした。
私の武器は移動してのブロード攻撃で、ジャンプは右脚だけで踏み切るんです。
復帰しても、以前のような感覚が戻ってくるのだろうか…という不安もあり、
初めて引退ということも頭に浮かびました。」
ーーーそのとき、何が支えになりましたか?
「その療養中、テレビでプロ野球の日本シリーズを見て、巨人が近鉄に3連敗した後、4連勝して優勝したんです。
あのとき、もう引退が決まっていた中畑選手が、最後の試合でホームランを打ったんです。
感動して、「私も頑張ろう!」と、それから前向きになることができたんです。」
ーーー17年間の選手生活は、その後の仕事や人生にどんな影響を与えていますか?
「芸能界の仕事で大変な時も、あのときの試合のプレッシャー、あのときの練習のつらさと比べたら……
と考えて乗り切ることができるんですね。
それにバレーは団体競技なので、協調性を持って、みんなで戦います。
それは芸能界の、番組や作品をみんなで作っていくのと重なるところがあります。
だから、空気を読んで動くのも得意なほうなんです。
だからバレーボールでの経験は、今でも宝物なんです。」
ネットからの声
“俺は大林さん可愛いと思うし結婚したいぐらい 。そんな男は山ほどいる”
“チビすぎるより絶対デカイ方が良いと思うけどなぁ~背の高い女はモテないの?”
“死にたいと思えるほどの感情が芽生えたこと 。それを継続につなげることってすごい事”
“デカバヤシw 笑ってしまったが捻りの無い子供特有の無垢な残酷さには胸が痛むな”
TVで知っている大林素子さんはとても明るくい印象がありましたが、
まさか子供時代に引きこもってしまうほどのイジメを受けていたとは驚きです。
でも、それを乗り越え、
コンプレックスを活かして自分らしく生きている大林素子さんは、素晴らしく芯の強い女性だと改めて思うインタビュー内容ですね!
これからも明るい大林素子さんをTVで拝見したいです!